PROFILE
誕生秘話から最新公演の裏話まで
劇団BUGSYの奇跡の軌跡を一挙公開!

1998.12 首領・遼 平神崎 仁が、行きつけのスナック『チロリン村』で飲んでいる最中に盛り上がり劇団BUGSYが結成される。
この時、神崎が首領のために米米クラブの『愛してる』を熱唱したのは今でも語り草である。
1999. 1 たった100枚程度の募集チラシの中の1枚を見つけて電話を掛けてきた女は南川亜希と名乗り、後に首領夫人となる事など当時はお釈迦様でも気が付かなかったであろう。
         2 湖東・湖北の情報紙に劇団員募集の記事を載せたら、丁寧にハガキで入団希望と書いて送ってきた男、たけをっちは今よりもっと無表情で愛想の悪い奴だった。
みなつきぐれん
もこの頃から参加。
        3 首領と神崎が以前在籍していた劇団から悠月麻由が移籍してきた。姓名判断の本を入念に調べてつけた芸名なのだが…。
吉か?凶か?誰にも分からない。
    4to7 旗揚げ前の緊張、先行きの見えない不況など様々な要因が重なり首領が激ヤセ、身も心もボロボロ状態。それに輪をかけたように神崎はじん帯断裂で旗揚げ公演の出演が危ぶまれる。
マッチョ・西川入団するが、すぐに失踪。現在も捜索中。
        8 旗揚げ公演『ブラック・レイク』上演。作風の性質上、賛否が分かれるのは最初から分かっていた。しかし、メンバー達は確かに劇団としての第一歩を踏み出した事を実感する。
        9 悠月と同じく竹林鹿乃梅森 蝶″が移籍入団。旗揚げ公演を観に来ていた森あかねもみんじ賢が入団と史上空前の入団ラッシュが起こる。
毎月この調子で増えると2001年にはメンバーが100人を超えていたであろう。
 10to12 明けても暮れても演劇フェスティバルの練習。みんなの言動がこの頃から少しづつおかしくなってきた。
首領作詞
『チ○ポ3兄弟』が流行する。
2000. 1 第3回滋賀県演劇フェスティバル『DREAM』上演。途中で脚本家が失踪したり様々な問題を抱えていたが、他の劇団との交流は深まった。
時折裏目に出る事もあるが、とにかく参加した者はよく頑張った。
        2 突然、映画出演の話が飛び込んでくる。木村拓哉の横に遼 平の名前が書いてあったり、藤原紀香と絡みがあるとか調子のいい事ばかり言われて舞い上がる首領であった。しかし突然、いや当然の如く映画の話はポシャるのである。
そこで一言
「やっぱりかい!」
        3 第2回公演に向けて練習に励む?あまり覚えていない。
        4 首領&南川が婚約を発表する。唖然とする劇団員達、そして「この公演前の忙しい時に何を眠たい事言うとるんじゃ!」
それに輪をかけたように神崎は
足首骨折を告白、第2回公演の出演が危ぶまれる。劇団員一同「またかい!」
エイプリルフールに大事な発表は控えよう。
        5 第2回公演『デストロイ』上演。客席で観ていた女子高生が感動のあまり入団を熱望。
こうして
高楽 東の熱意により入団できる条件から18歳以上という項目が消える。
        6 首領&南川がハワイにて挙式。以来2人ともリゾート後遺症に悩まされ、やむを得ず老後はハワイに永住する事に?
        7 劇団主催の結婚披露パーティーが彦根市内のレストランで開催される。
宮沢十馬(異国幻燈舎)、和泉正夫(バナナのかわ)福野昭久(フォルテ)等、滋賀県下で活躍する他の劇団の人々も大勢集まってお祝いしてくれました。
感激のあまり首領が涙を流す場面はなかった。
        8 上海太郎舞踏公司のワークショップに参加。首領と上海太郎はオセロゲームをする仲に。その事を劇団員に自慢したが、誰も上海太郎のスゴさを知らなかった。オー・マイ・ゴッド!
   9to12 20世紀も終わりに近付き、第3回公演に向けて練習に励む?なぜか記憶がない。
2001. 1 結成当時から夢であったホームページの作成に着手する。
唖然とする劇団員達、そして
「この公演前の忙しい時に夜も寝んと何やっとるんじゃ!そんな暇があったらセリフ覚えんか!」
        2 脚本の完成が遅れた為に全てのしわ寄せが来る。毎日毎日、てんやわんやの大騒ぎ。それに輪をかけたように神崎が事故って車が大破
劇団員一同
「よう生きとったな〜。」
それでも何とか第3回公演
『チャイナ・ヘヴン〜ゴキブリどもの熱帯夜〜』上演。
        3 プラザフェスティバル・チャレンジ部門に出場。ショートストーリー『プラザ署・生活保安課』上演。
10分少々の短い時間ではあったが、中年のオバちゃん達には大ウケ。文化プラザの小寺氏に
「ウケて良かったね。」と慰められる。