カロムの歴史と言いましても現在のところ殆ど判っておりません。 カロムの歴史を遡る資料が残っていないのです。 特に日本においては明治末期、或いは大正の初期に海外から持ち込まれたものであろうと推測されています。 しかしあくまで推測であって、誰が、何時、何処に、何のために、ということは全く謎につつまれたままなのです。 言語学的に、「カロム」は、「槍の柄の輪切り」という意味だそうで、確かにカロムの玉は柄の輪切りの形に似ています。 |
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カロムやカロムに似たゲームは、世界各国で盛んに行われていて、12〜13世紀にかけてエジプトでその原型が確立されたと言われています。 それから何世紀もかけて、世界に広がっていきましたが、そのルート、手段は謎に包まれたままです。 現在カロムに似たゲームを探してみますと、イエメンのカエラム、インドのインディアンスヌーカー、ミャンマーのブルーミスカロム(ゼーコン)、インドネシアのカランボーラ、ネパールのカロンボール、中国の康楽棋等があり、現在でもゲームが行われています。 |
一方、カロムがエジプト・イエメンを中心に世界に広がっていく中、イギリスに伝わったものは独自の変化・発展を遂げて、ビリヤードへと変わっていったとされています。 ビリヤードゲームの中で、キャロムゲーム(玉をあてていく)やポケットゲーム(玉をポケットに入れていく)といった遊び方がありますが、私たちのやっているカロムの「穴に入れる」ところはポケットゲームに受け継がれ、跳ね返りを利用してゲームを進める部分はキャロムゲームに受け継がれて八手かしていったのではないかと推測されます。 |
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さて、日本にカロムゲームが伝わったのはそれからずっと後になってからで、明治末期から大正初期にかけてと実に曖昧でルートも不明、これまた謎に包まれています。 カロムの歴史を考えてみても、何一つ確実なものはありません。 しかし、数少ない資料を元につなぎ合わせてみると、若干の事が判ります。 まず、明治末期から大正初期にかけてイギリスよりYMCAによって持ち込まれたのではないかという点。 昭和に入ってアメリカからも伝わったということ。 これは、メンソレータムで有名な、メリルボーリスによってではないかとされています。 どちらにしてもYMCAが一役かっているようです。 昭和30年代初期には、カロムは全国的に広がって、「闘球盤」(投球盤)という名称で親しまれていました。 彦根でも中学校でカロム大会なるものが行われたといいます。 現在よりもずっとポピュラーな遊びだったようです。 ところが、今では彦根を中心とする地域にしか残っていません。 そして、その理由もまた謎に包まれたままなのです。 |
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