探索15日目


たたかいの前にかわした、ちかいの乾杯のとおり、 わたしたちはだれも欠けずに、ゆくえをふさぐ少年を、しりぞけた。 エニシダさんとフォウトさんは鋭い目つきをしていて、 ともすれば力を示すという一線を、ふみこえてもおかしくはないようすだった。 たたかいの終わったあとに、 わたしの感じた気もちをどういう言葉でかけばいいのだろう? ……よかった? うれしかった? どきどき、した? それはほんとう。それはしんじつ。嘘はない。 だけれどもそれだけではない。 もっとこころのおくの深くの、 たとえばこころを水だとしたら、みなぞこ深くはるかとおくの、 ――それでもそこはわたしのこころのゆえに、 「ある」、と知ることのできるどこかに、 わたしはちいさなこぶのような気もちを感じた。 もうおわり? ……たたかうことは、りょうてをひろげてたのしいと言えることではないけれど、 少しはある種のたのしさものあるのだと、そうだとは、知っていた。 けれど、戦いたいと。いのちの落ちていくような戦いを戦いたいと、 思ってしまうのは、それはごうまんではないのだろうか? わたしはごうまんではないのだろうか? 命に。 いきものとして、命に、ふせいじつではないのだろうか? 魔法使いをめざすのならばいろいろなことをかんさつしなくてはいけないよ、 と、あまいいさんが言っていた。みいださなくてはいけないよ。と。隠されたものを。 みずからのなかのほんとうをみいだすのはときにこわいことであるという。 じぶんのなかの嫌なところをみいだしてしまうことは決して こわいことではないと思っていた。それはなおせばいいと。みいだせばなおすことができるのだと。 そうではなくて、なおしようのないこころのおくのふかくに、 自分のこころの一部としてしっかりと、ねじのように、 つがってしまったなにかが否定したいものであったときに、 わたしはなにがいえるのだろう? みずからを知ることになにかこわいことがあるとしたら、そうしたことであるのかもしれない。 あることばにおいて、真理は「ヴェールをはがれた」という意味をもつ。 貴婦人はヴェールをかける。顔をみせないために。人に。 けれどあるいはそれは人にみせないためではなくて、 みずからの顔を気にかけずすむようにヴェールをかむるのかもしれない。 おそれを、知らずにすむように? けれどわたしは魔法つかいなので、 もう少し知りつづけていたいと、思う。 おそれとともにであるとしても。 付加のちから。 ほかの人のそれがどうであるのかはわからないけれど、 わたしの付加の術は、「もの」のもっている存在のすきまから、 その「もの」のエッセンスをぬきだして、 べつの「もの」のエッセンスへとみちびき、合わせる、魔法的なわざだ。エンチャントの魔法だ。 エッセンス、というけれど、それは決して「本質」ではなくて、 その「もの」のなかにねむる、その「もの」がとりうるデュナミスのいろいろの一要素、にすぎない。 木のなかにひそみ息づく水のけはい。石のなかに眠る強いかたさ、 そうしたものを見つけだしてみちびく。ものだ。 付加が、くみあわさる相手におうじていろいろな形態をとることからわかるように、 わたしの見いだしみちびいているものは真理ではない。 けれどなにがしかのヴェールをあばきながら、わたしは付加をしている。 なかまたちの武器を手にとって付加をするたび、 すこし気もちがあたたかになるのを感じていた。 なかまたちの触れてきて、命をあずけてきた武器の、 ヴェールをすこし上げて、そのエッセンスにふれるのは、 好き。 それはわたしの魔法使いとしての目が、たとえすこしでも前に進んでいることの実感と、 わたしとともにある仲間たちがこころのうちにとてもあたたかい火を持っていることの、 与えてくれる、勇気であるのかもしれない。 わたしは魔法使いで、ひとつひとつ歩いてゆく。仲間たちとともに。 それは勇気をくれることなのだと思う。 書いていると、こわかった気もちも、すこし落ちついてきた。 あんしん。 遺跡のそとでは、たべものと、あぶらのほかに、インクのほじゅう。 わすれないようにしよう。遺跡のなかでインクがつきたら、 わたしはちょっと、あんしんできなくなってしまうとおもう。

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