探索2日目


遺跡にもぐった。 遺跡というのは、もっと、ものすごくまっくらなものかと思ったけれど、 あの手紙をうけとった旅びとはわりと多いらしく、 あちこちで、ランタンやたいまつのあかりがちらほらとゆれている。 魔法のあかりも、そこそこある。 おたがいにみしらない旅びとであっても、ちょっと声をかけあったりしているようだ。 歩行雑草のすがたも、すこしある。砂地はわたしたちには生きにくいから、 おそらく、野生のものではないだろう。 かれらにはつかえるべきマスターがいるのか、 それともみずからの気もちでここへとやってきたのかは、わからない。どちらもいるのかもしれない。 もうすこしパワーストーンをもてるようになったら、 たぶん、まわりはかなりにぎやかになるのだろうと思う。 いや、それとも、下へ下へとすすむにつれて、やはりすこしずつへっていくのだろうか? B1Fは、まだちょっとしたおまつりきぶん、という感じなのかもしれない。 もしかするとあまり下にはもぐらずに、B1Fにじんどって、旅びとあいての商人になる人も、いるかもしれない。 ……べつに、いないかもしれない。 遺跡にもぐったばかりなのに、はやくもちょっと、おなかがすいている。 ものをたべるたのしみは、人のすがたで、人のあいだでくらすうちにおぼえた。 ハルア(わたしを呼びだし、心をあたえ、名づけたハルア、めがねのハルア)は、 あまりリョーリにこだわってはいなかったけれど、 ちかくにすんでいるおばさんたちが、わりとごはんをわけてくれた。 そういう日は(そういう日は多かったけれど)、口のなかがしあわせだった。 くだものやサラダをたべることは、あるいはもしかすると「ともぐい」になるのかもしれない。 どうぶつは、どんなに肉をたべるものでも、じぶんとおなじものは、「まずい」と感じるようにできているそうだ。 だから、ネコはネコをたべないし、オオカミもオオカミをたべることはない。 それはみずからの種が絶えることをさけるための、プログラムなのだそうだ。 わたしは、じっさい、キャベツやレタスのように、葉っぱをそのままたべるものは、そんなに好きではない。 でも塩でいためてあったり、シチューになっていたりすると、 ふつうにたべられたりする。むしろ、ちょっとおいしい。 パンも、もとをたどれば、地面にはえているあのコムギなのだそうだ(!)。 こなをねっているパンやを見たことはあったのだけれど、 そのこながコムギだとは、ついぞ、おもわなかった。びっくりした。 パンは好き。これも、ひろい目でみれば「ともぐい」なのだろうか? たべものについて書いていたら、すごくおなかがへっているような気がしてきた。 ので、きょうは、アルテイシアさんに、リョーリをおねがいした。 パンのみみをレモンの汁につけこんだ、ちかくのおばさんが作ってくれたことのある、好きなたべものだ。 わくわく。 アルテイシアさんは、ながいブラシをもった、おちついたふいんきふんいきのおねえさんだ。 こういう、ふしぎな島での旅にもなれているかんじで、 わたしたちにいろいろなことを教えてくれる。たよれる人だ。 リョーリがとくいだそうで、エニシダさんも、さっそく、クルトンをつくってもらっていた。 ふかい遺跡にもぐるのに、食べものをながもちさせることができるのは、おおきな強み。 わたしたちチェインシャークは、みんなリョーリがにがてなので、 これからだいぶ、おせわになることになりそうだ。

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