探索7日目


山をのぼった。 小石やエダでからだがぴしぴしされて、ちょっといたい。マントでカバーするのだけれど、 服はもうちょっとちゃんと、着こんだほうがいいのかもしれない。 あまりおもいものは、ぎゃくに動けなくなってしまいそうだけれども。 フォウトさんばりにがっつり着こんでも、光がとりいれにくくてたいへんそう。 フォウトさんは肌から光をとりいれたりはしないから大丈夫なのだろうけれど。 けれど山のきけんは、道のけわしさばかりではない。 そこここにちらほらと見えかくれする魔物のかげは、 いままでとちがって、あぶないものであるけはいが、少なからずする。 ころがりおちてくる小さな岩や、えものをねらって、すばやくあたりをとびまわる鷹や、 山中でとどまるというのは、やっぱり、なかなかチャレンジ・スピリッツなことのようだ。 でもそうした魔物たちをちらちらと見ながら、こころのなかで、どこかで、 たたかってみたいな、と思ってしまう気持ちがすこしだけある。 たたかうのはきらいではない。 チェスが好きで、むかしおしえてもらってから、なんかいもなんかいも指していた。 ねだんのはりそうなガラスせいのばんめんを (くらしていた家は日用品よりも、すごくむだなものにおかねがかかっていた)(あんまりおかねもないのに)、 騎士や道化たちがとびまわって、みんなで王をめざして進軍する絵や、 ふとこちらののどもとに、敵のこまの手がゆっくりのびている策戦に気づいたときの、 落ちていくようなぞくぞくや、 もっとたんじゅんに、こまをとって、やった! というときのスカッとしたかんじや、 そういう、たたかいの「きび」てきなものが、好きだった。 (とんがりぼうしのフゥをビショップとよぶこともあるのだそうだけれど、  わたしはフゥ――道化がはしりまわっているのだとおそわって、  そしてじっさい、そのふうけいのほうが親しみをもてた。  馬でとびまわる騎士や、ぐちょくにすすんでいく歩兵や、きりこんでいく女王のなかを、  道化がやいのやいのとはしりまわって、わきから王を刺してしまう、みたいな) 生き死にのかかったたたかい。まものがたおれるそのたびに、 あるいはあれがじぶんだったかもしれない、とかんがえて、 感じる、すごく高いところからおちていくようなぞくぞくを、 わたしはこころのどこかで好きだとおもっている。   けれどわたしはひとりではない。 わたしの魔法のひとつひとつにかかっているのは、わたしひとりの命ではなく、 サフィさんの、エニシダさんの――なかまたちの、命なのだ。 わたしはひとりではない。だから、敵とじぶんをばかり見つめていてはいけない。 たたかうのはきらいではない。でもわたしにはほかにももっといろいろの、たくさんの、 たいせつにしなくてはいけないものがあるのだと思う。 気をつけよう。とらわれすぎないように。 手のひらにすこし水気のかんかく。 きけんをかんじて、気もちがたかぶると、からだがたたかいにそなえて、 いつでもうごけるよう、「たいおん」があがる。 そうすると、からだをあたためすぎないように、 からだのなかの水気がじんわりとでてきて、からだを冷やす…… これは、ひとやどうぶつのからだのしくみと、あまりかわらない。 歩行雑草がどうぶつなのか、植物なのかはわからないけれど、 すくなくともわたしは、けっこう「どうぶつてき」なようだ。 でも、あまり「あせばむ」のもきもちがよくないから、 (ふつうにはだかでいればいいのだけれど、マントをはおっていたりすると、きもちわるいし) (ローブの布は、ナミサさんにスカーフのそざいにしてもらってしまったけれど) 水あびや、おふろのようなものが、遺跡のそとでできたらいいなと思う。 わたしたちは「ぼうけんしゃ」で、それぞれに求めるものがあるのだから、 またほどなく遺跡にもどってゆくのだろうけれど、 またそのゆえに、つまり、あんまりちょっと休んじゃっても長引かないことがわかっているから、 ひとときの休息を、じんわりかみしめることができるのだろうと思う。 遺跡にもどってゆく。……あるいは、帰ってゆく? ぼうけんしゃに家はない。でも、あるおおきな遺跡をさぐっているときには、 みんなに共通の、またいずれゆくばしょがある。 ちょっとふしぎ。そして、おもしろい。

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