探索手記-17日目-

 分かれ道を南へ行く。  互い違いになった十字路は、西に森、東に砂地が広がっていた。  突き当たりの先には何があるかは解らず、事前情報の無いままに私達は歩く。  恐らくは最後の、地下一階の未開拓地帯。それを私達は暴くのだ。  地下二階ではトラップが仕掛けられていたという。地下一階でもトラップがあっても不思議ではない。  普段よりも慎重に、そして大胆に。砂に覆われた土地は、喩え何が埋まっていても解りはしない。  最悪、地雷のようなものがあっても解らないだろう。そのような物があったという報告はまだ無いが、警戒するに越した事は無い。  それにしても、風化した床や草原はまだ解る。しかし森林や砂地があるというのはどういうことなのだろう。  木々が生い茂る程にこの遺跡は放置されていたのだろうかと思うと、この遺跡の歴史や秘密を紐解いてみたくなる。  宝玉を集める事ができれば、その秘密も少しは解るのだろうか。  砂地を暫く歩いていると、唐突に巨大な階段が口を開けていた。  大人が十人単位で降りる事が出来る広さを持ち、そしてその続く先は全く見ることが出来ない。  地下二階への階段で間違いはなさそうだが、あまりにも長すぎる。  ふと見上げると、青空が覗いていた。地下であるにも関らずだ。ぐるりと視線を回すと、ずっと上──それこそ、眩暈がする程上──に、僅かに天井のようなものが見受けられる。  地下2階も、同様の高さがあるのであればこの巨大階段は相当な長さを持っているに違い無い。  僅かな逡巡。しかし、ここまで来た以上は降りない手はないだろう。私達は探索者だ。  途中、エゼさんがアクシデントに巻き込まれたようだが、どうやらそれはマイナス方面のものではなかったらしい。  同地点での探索者と、談笑している様子が見える。協力する事のできる探索者…屈強な、乙女。  私の視界の先にも、見知った顔があった。炎の化身とも言える彼女のパーティとは、階段を降りきった所で練習試合をする事になっている。  そして巨大な階段を数十段数百段と降りたその先に見えたのは、延々と続く山岳地帯だった。  不思議な森で、フォウトさんと共にビヴァーグする事になった。  唐突に雨に降られ、ビヴァーグを余儀なくされたと言うべきかもしれない。  兎に角私達は、焚火に当たりながら雨が止むのを待っていた。  朽ち果てた廃城。既に主を失って久しい、嘗ては栄華を誇っていたであろうその場所は最早当時の栄光は無く、崩れた城壁と荒れ果てた庭があるのみだった。  アンデッドや夜盗の住処になっていても不思議ではない雰囲気。ちらりと視線を中庭に向けると、「行きたければ止めませんが、流石にそれは仰りますまい」と言われた。  私もフォウトさんも、それを行う事に対する危険性は良く知っている。短剣の手ほどきを受けたとはいえ、ようやく初歩。魔法使いは接近されたら弱いのだ。 「折角だからお聞きしておきます」  少しの沈黙の後、再びフォウトさんが口を開いた。  曰く、術について。小さな発動に成功した後、増幅するにはどうすればいいものか。  数日前からフォウトさんは術の練習をしていたようだった。恐らくは、新たな手札を得る為に。  どのような術かは聞いていない。その時が来たら話して貰える、そう思っていた。それが今なのだ。 「…そうだね、これはその人その人によって適した方法が幾つかあるんだけど」  発動儀式に増幅用の文言を加え、儀式そのものを変える。  地道に何度も繰り返し、扱える力のを徐々に大きくする。  術そのものを封じ、自身の体内に力を溜め込む。  そして、他の術師と協力して己の限界を超えた大きな術を発動させ、許容量を無理矢理広げる。  私が知っている物はこの四つで、フォウトさんに合うものは始めの二つのように思えた。  術そのものを封じるやり方は、非常に長い時間を要する。  そして限界を超えた術を扱う事は、大きなダメージを残し場合によっては死に至る。  始めの二つを伝えると、儀式を変える事は出来ない、ならば後者だ…という事になったようだった。 「多分物理攻撃もそうだけど、魔法もやっぱり反復練習が一番有効的なんだ」 「そのようで。よく兄者が幼い頃に練習しているのを見ていましたし、武器も術も、職人の仕事も、結局は同じと言うことになりましょう」  反復練習によって地道に容量を上げるのは、一流の術師でも行う基礎訓練だ。  術師の力の大小に関らずきちんと結果を出す。恐らくは、フォウトさん好みの訓練方法でもあるだろう。  視線を炎からフォウトさんに向けると、術の発動を試みているようだった。  聞いた事の無い文言。体系も読む事は出来ないが、しかしそれは確かに術だった。  体系や方法が違えど、術には共通点がある。自身の精神力をトリガーにして様々な現象を起こすのだ。  僅かに息を詰まらせ、目を見開くとフォウトさんの掌に火花が舞った。 「未だ、ここまでが限界のようです」  限界と言ったが、しかし、発動自体ができていれば後はさほどの問題ではない。  あとは持続させるだけ。長時間の持続が可能になれば、それを瞬間的に爆発させて強力な術とする事も可能──そう言うと、フォウトさんは申し訳なさそうな顔をして言った。 「実を申しますと、発動まで二十年近くかかりました。ようやく先日どうにかなったといいましょうか……当方にはどうにもその増幅すら難しそうです。何か良い案を御存知かと思ったのですが……」  暫し、考える。  フォウトさんは以前、「素養はなかったようだ。しかし理論は頭に入っている」と言っていた。  術の素養とは、すぐに開花する物ではない。稀に、奇跡的な確率で即座に開花するような者も居るようだがそれは一握りだ。  私の魔術や召喚術も、下地は数年単位を掛けて作った物。つまり、人間にとっては長い二十年という時間でも、魔法の素養の開花という観点に於いては普通の長さなのだ。  それを、実演を混ぜて伝える。小さな魔法弾を作るまでに不慣れならば十年以上。しかし、これが出来てしまえばあとは長くても一週間以内にマジックミサイルを完成させる事が可能だ、と。  種から芽が出てしまえば、あとは成長促進の度合いのみ。その芽を出す事が一番難しく、そして辛い。フォウトさんもそのことは理解したようだ。 「魔法は全て、自分自身の感覚で掴まなければいけない。でも、一度その感覚を掴んでしまえばあとは応用だけ。自分の引き出しは、応用の範囲が広ければ広いほど増える。…フォウトさんのように、既に技術を持っているならなおさら、ね」  事実、私は短剣と魔術の応用技を扱えるようになった。  彼女ほどの短剣の遣い手であれば、どのような術を応用するにしろ相当に強力な技を身に付ける事が出来るだろう。 「先日ビヴァーグしている地点に、子供の影絵師が来たのです」  手袋を外しながら、口を開く。その掌には幾筋かの傷があり、それは常に前線を歩いて来たという証拠にだ。彼女の短剣捌きは、それに裏打ちされたものなのだろう。 「彼も術使いでして、曰く『ないものをあるように強くイメージする』、とのことのようでした。その集中する作業を繰り返し、ともなれば……結構な集中力が必要になりそうですね……」  再び瞑目し、続けた言葉に扱う術の断片が見えた。  無い物をあるように…無を有に、夢を現に、そして──幻を、現実に。  錯覚させ、相手の精神力にダメージを与える術。それを彼女は扱うつもりらしかった。 「無い物を、あるように…か。そうだね、それも一つの訓練方法。強く強く集中して、自分の限界を知る。そして精神の緊張を解き、また集中する。地味だけど、きつい訓練だね」  一息ついて、でも、と付け加える。地味できつい訓練程身につくのだ。始めは効果は目に見えて来ない。しかし、ある日その効果を実感する事が出来る。 「身体にコツを覚えさせて、効率的な集中力の運用が出来るようになるから…そういう事。魔法は全て、自分自身の感覚で掴まなければいけない」  その感覚を掴んでしまえば、あとは応用次第。応用の範囲が広ければ広い程、引出しは増える。  傭兵として生きてきた彼女なら、経験として解る事だろう。だからこそ、術も同じだと言っておきたかった。 「難しいものです。刃一つで勝負してきた無頼の徒には荷が勝ちすぎますが……せめてもの救いは、『仙導』の理論は頭に入っていることでしょうか」  瞑目したまま掌を一度握り、上へと向け、私の知らない文言での詠唱をフォウトさんは開始した。 『湖水の陣にて改印を成す──-  舞来せよ……螺旋よりの幻界韻力、己が基に有り。 集え火角、通ぜよ宵橋……』  魔術とは明らかに系統の違う、複雑に入り組んだ力場。  それは始めは不安定に掌の上を彷徨っていたが、詠唱が進むにつれて徐々に形を作っていった。  炎の赤を写し取った、小さな花。何も無かった掌の上に、「そこにあるもの」として私の精神を錯覚させている。  幻を現実とする、幻術だった。 「花…に見えれば良いのですが」  額に脂汗を浮かばせるフォウトさんの表情は硬かったが、私がきちんとそう見えていると伝えると表情を緩めたようだった。  だが、すぐに「失敗です」と言って眉根に深い皺を寄せた。  近づいて良く見せてもらう。花弁があまりに直線的すぎる──細かなイメージの欠乏。幻術を得手としない私でも、容易に原因を推測する事はできた。  だがここまで出来ていればもうあと一歩。すぐに実用化できる。そう伝えても、彼女の表情は硬いままだった。 「これは、術の問題ではないのかもしれません」  ゆっくりと立ち上がり、掌の花を握りつぶすと金属の硬質な音が聞こえた。明らかに幻術としては成功している。  どういう事かを私が問う前に、フォウトさんは痛みを堪えるように、言った。 「――花のかたちが、思い出せません……」  私はそれに対し、言葉を掛ける事が出来なかった。  花の形が思い出せなくなるほど、平穏から遠ざかっていた。フォウトさんの傷付いた掌は、彼女が望んでか望まずかは解らないが「女」として生きて来られなかった事を示している。  彼女は過去を語らない。私も問おうとはしない。  様々な事情を持った者達が、この遺跡で生き残る為に掛けた「鎖」──それが私達の絆だった。

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